スタンプ機能といえば、LINEであるが、
スタンプについて改めて考えたとき、私は象形文字を思い出した。
コミュニケーションツールとして絵が使われていた時代、
人々はどのようにして象形文字をつかっていたのだろうか。
想像することしかできないが、言葉だけでは伝わらない、
「含み」というものを感じていたのではないだろうか。
話をLINEスタンプに戻す。
個人的に、携帯電話を持ち始めたのはおよそ15年前のことであるが、
このときはもちろん、メッセンジャーアプリなど存在しなかった。
限られた文字数のなかで、いかに相手に伝えるか、
いわば、平安時代の和歌のように、不要なものを極力削ぎ落とした文章を
即座に打つことが必要とされた記憶がある。
(そういえば、顔文字というものも存在しなかった。スタンプは顔文字の進化系といっていいのではないだろうかと私は思う。)
それが、今はどうであろう。文字数制限などない。
それどころか、一通送ったら、一通返ってくるメールのやりとり自体が、
面倒なものとして、消滅しつつある気さえする。
スタンプで感情を伝えるということは、もはや「メール」というツールを超えている。
それは、チャット形式のメッセンジャーアプリに要求される「スピード」と「直感」が関係あるだろう。
スタンプとひとくくりにいっても、「了解」「ありがとう」などの文字が含まれるものから、本当にキャラクターの表情だけで読み取らなければいけないものまで様々だ。
手軽で、コミュニケーションツールとして大成功しているスタンプだが、
一方で、文章表現の低下を招いてしまうのではないかと危惧する思いもある。
ただでさえ、長文を書くという機会が日常的に減ってしまった。
現在の若者は、手紙を書いたことがないという人も多いのではないだろうか。
言語を超えて理解し合えるスタンプは魅力的だが、同時に、長文を交わすような機会も生まれてくれば、使い分けのできるワンランク上の表現能力が身に付くのではないかと思う。
とはいっても、急速にメッセンジャーアプリが普及している時代背景を考えると、
それは難しいことかもしれない。
言語と絵(スタンプ)の共存を切に願う。