G21062 ソシャゲで考える「推し活」という言葉

今年4月26日にリリースされたHoYoverseの最新作、崩壊スターレイル。

HoYoverseといえば原神の人気が未だ冷めやらぬといったところだが、残念ながら私は原神の方は未プレイで、スターレイルの前作に当たる崩壊シリーズも未プレイである。元々原神シリーズのキャラクターデザインに興味はあったが、あいにく極度のガチャ嫌い、もといソシャゲアンチが祟り、手付かずでいた。

そんな中、新作のリリースという機会がやってきた為、とりあえずの精神でプレイしてみた結果、それなりにハマってしまった、所謂典型的な「新規勢」である。

さて、ゲームにはさまざまな層のプレイヤーが存在する。本レポートの上ではそれを「新規勢」「古参勢」「課金勢」という三つの分類で分けてみる。最後三つ目の頭に「廃」をつけたいところだが、そこをグッと抑え、この三つの要素はあらゆるコンテンツに当てはまり、特にソシャゲやアーケードなど、継続的な運営が必要なゲームでは特に気にしなければならない要素となるだろう。

なんらかの理由でコンテンツに触れ始め、少量の利益を大量に残す事が期待出来る新規勢。新規層が定着し、継続的に利益が見込める古参勢。そしてなんらかの理由で盲目的にコンテンツに触れ、個人単位で見ればとんでもない利益を生む(廃)課金勢。

この三つの中で、増やしやすいのは間違いなく新規勢だ。では、運営者は新規勢を増やし続ける努力だけをすべきかと言えば、答えは完全にNOである。これら三つの区分は常にバランスを保っていなければならない。

これは新しいコンテンツと、長寿といえるコンテンツを考えてみればわかりやすい。新しいコンテンツに於いては、すべてのユーザーが新規勢として参入する事になる。仮に話題性に長け、大量の新規勢が現れたとしても、そこから古参へと発展しなければ、ユーザーは定着する事なく消えていってしまい、コンテンツの寿命は極端に短くなるだろう。

一方、新規が定着して古参が多く生まれたコンテンツに於いては、新規を取り入れる方法を考えなければ、いずれコンテンツ自体が燃え尽きてしまう。ここで重要なのは、古参勢の寿命は無限ではないという事だ。いくら定着した古参勢でも、変化がなければ離れてしまう。つまり新規が現れなければジリ貧となってしまうのだ。

これは課金勢に於いても同様で、個人で見れば大きな額を課金する彼らが、コンテンツの全てを支える事は不可能だ。結局必要なのは常に流動するユーザー層の中で、安定したバランスを保ち続ける事に尽きる。当然コンテンツが長く続くにつれて、新規層は減って行き、古参が増え、ユーザーは目減りしていくだろう。それがコンテンツの寿命であるとも言える。しかし、このバランスによって長生きするコンテンツが生まれるのは間違いない。

さて、ここで「推し活」について触れて行きたい。「推し活」という言葉は特定のコンテンツに対して触れ、利益を生み出す事に名称を付けたことで、ある種のブームを生み出したものであると、私は解釈している。この推しという言葉によって、今まで嫌厭されてきたような趣味が受け入れられるようになったり、表立って主張する事の無かった趣味を堂々と主張できるようになった空気感を形成したという意味では、非常に有意義なものだと言える。

しかし、私はこの推し活という文化に警鐘を鳴らしたい。この推し活という概念は、場合によってはコンテンツの寿命を削る可能性があるのだ。その理由は大きく分けて二つ。

一つは趣味の範囲であった行為に一種の競争が生まれる事。二つ目はコンテンツを否応なしに過去の物に変えてしまう危険性がある事。

趣味であった行為に競争が生まれるというのは、Twitterなどで所謂推し活を行なっている人たちで起こりやすいものかと思う。昨今、ゲームにしろアイドルにしろ、キャンペーンやイベントなどで、さまざまなグッズが展開されている。そのグッズは、正直言って趣味の範疇ではコンプリートするのは現実的でない場合が多い。しかし、中にはコンプリートを成し遂げ、それを拡散し、主張する人が現れる。それを見た人は、少なからず「悔しい」と思う事だろう。そうして次回のイベントなどではグッズのコンプリートを目指す、と一見すると良いサイクルに見える。しかしこの競争には危険性がある。何故ならこれは競争に見えるだけで、実は誰とも競っていない、ただ抽象的な焦燥感、言うなれば嫉妬に駆られているだけの行動だからだ。この焦燥感を理由にグッズをコンプリートできたとして、その瞬間は本人に満足感が生まれるだろう。しかし無理にそれを成し遂げてしまうと、次回以降では金銭的な理由、時間的な理由、土地的な理由でそれが叶わなくなる可能性が高い。その結果、一種のバーンアウトのような状態に陥る可能性がある。この経緯で燃え尽きたユーザーは、そのコンテンツ自体に嫌気が差すこともあり、永続的に戻ってこない可能性もある。これは謂わば瞬間的に燃料を燃やしてしまい、爆発を起こす危険な行為だ。また、当然ながら無理に金銭を消費する行動は、とてもではないが褒められた行為ではない。それを助長する可能性がある事を忘れてはいけない。

二つ目のコンテンツを過去の物にしてしまうという点はこの「推し活」がブームであるという点に問題がある。そもそも、世間が推し活と呼んでいるものは、何かしらのコンテンツを好んでいた人なら自然と行っていた行動だ。それに新たに「推し活」という名称を付け、キャンペーンのように拡散していったこの状況は「流行」の生まれ方とよく似ている。つまり、推し活とは一種のブームなのだ。ブームとはいずれ過ぎ去るもの。その結果、「推し活」という言葉のみならず、特定のコンテンツさえも「過去の物」扱いされてしまう可能性があり、結果的に新規勢の参入を妨げてしまう。場合によっては古参勢の定着も剥がしてしまう可能性もある。

さて、ここまで推し活に対する危険性を並べてきたが、これはあくまで私が考えている推し活に対する危険性である。現在世間的に推し活と言われる活動は非常に多岐かつ広範で、全てに当てはまっている事であるとは言い切れない。しかし、一部でそういった危険性がある事を理解しておくべきであるとは思う。

総評としては、何も「推し活」という言葉に囚われる必要はないという事だ。元々マニアやらオタクやらとさまざまな名前をつけられてきた人々のやってきた活動であり、この推し活という名前も絶対的な物ではない。これから先も移ろい行く名前なのだろう。だからこそ、無闇矢鱈にこの言葉を使う事に危険性が伴う。この偶像崇拝を「推し活」と称し、得をする人がいるか。あるいは損をする人はいないかを見極めなければならない。

そして、推し活をする人は「何事も程々に」という事を心得なければならない。自分自身、とあるコンテンツに没頭した結果、完全に燃え尽きたユーザーの一人であるため、これに関しては身に沁みて思うところだ。

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