はじめに言ってくと、私はゲームに関しては拡張現実ではなく仮想現実派である。
基本的に自分という存在がゲームの内容にかかわるのは許せない。
2次元への行き方を調べていると、『自分で理想の世界観を持った作品を作ってみては』という意見を何度も見たが、それは違う。キャラが自ら考え行動することにこそ意味があるのだ。
マイクロソフトが開発した、部屋をゲームのフィールドにできる技術はとてもすごいと思うが、自分の好きなキャラクターが薄汚れた自分の部屋や現世に映し出されるのは嫌だ。
たとえ好きなキャラでも立体になったら別物だと思う。
コスプレなどもまたしかり。
それをふまえて私には夢がある。中学生でオタクになったころから、とにかく二次元に行きたい。
それには制約がある。ゲームはゲームであって、決して戻ってこれなくなってはいけない、と考えているのだ。
自分の記憶をデータ化することができれば2次元にいけるが、2次元で蓄積した情報を現実に持ち越せる必要がある。
それは非常に難しい。
やはり次元の差は大きい。ではどうすれば少しでも近い場所にいけるだろうか。
それを考える上で2次元のゲームと3次元の現実の大きな差である【発展性】に着目することにした。
今の状態でも、作品に見入ってるとき、確かに精神は2次元引き込まれていると感じる。
でも、ゲームのキャラは、プログラムで動くただの人形で、一度プレイしてしまえばもう内容は変わらない。
そういう拡張性のなさが、私の理想への壁となっている。
では彼らが人工知能だったらどうだろう。
キャラたちが与えられたストーリーの中で、アイデンティティーを持ち自ら考えに添って行動していく、ということに私は高揚を隠せない!
考え方だけならば通常のAVGと同じような感じかもしれないが、途中でどれだけ寄り道したか、どれだけ話したかなどより細かいところで性格がどんどん変わっていったら面白いと思う。
キャラクターに感情移入できるようになると、もっとゲームとしての面白さ、深さが出るのではないだろうか。
最後に、ひとつキャッチコピーを紹介したい。【oblivion】というゲームで、操作するキャラクターがレベルアップするとコメントが流れるのだが、その中にこんなものがある。
《気力と体力に満ち溢れて目覚めを迎えた今朝の君が たった一夜で別人のように変わる。
一日という時間が生み出す変化にただ驚くばかりだ》
この言葉は、ゲームと現実を超える可能性を感じさせて、今も私に深く根付いている。
http://romantische.jp/index.html
このサイトでは、人工知能を持ったパートナー(ペット)と仮想空間で過ごすオンラインゲームが配信されている。そこに集う別の人間とコミュニケーションをとりながらも、人工知能を育てることもできる。
http://www.gizmodo.jp/2013/03/mit_9.html
http://www37.atwiki.jp/oblivionxbox360/pages/113.html