情報社会とロボットの可能性

掃除機ロボットなど生活の必需品であるものが便利になったり、また人に尋ねる感覚で必要な情報を取り出せる高度な対話コミュニケーションも実現可能になり、高齢化社会にとっても見守りなどの役割を果たしながら、ロボットは必要不可欠な技術になってゆく。Aibo等の子犬ロボットのような娯楽方面にもどんどん進化し、需要も増えることだろう。まさに手塚治虫が描いたとおり、ロボットは人間のように生きながら人間のナイスな相棒になることだろう。

ロボットとは、人の代わりになんらかの作業を行う装置の場合、ある程度の工程なり手順なりを自動的かつ連続的に行う物であり、単一の動作を行う物や、絶えず人間が操作をする必要がある物は基本的にロボットの範疇には含まれない。
しかし単純に与えられた条件に対して所定の、あるいは繰り返しの動作を行う機械装置との境界は曖昧で、明確に定義・区分することは出来ない。例えば自動販売機は、人間の仕事(業務)を代行する装置であるが、これをロボットとみなすかどうかは、人によってまちまちである。
「人の代わりになんらかの作業を、ある程度の工程なり手順なりを自動的かつ連続的に(かつ効率的に)行うもの」
という定義からすると、打ち込みの必要な初音ミクはロボットではなくあくまでもソフトウェアらしい。が、自動販売機のように、歌唱という業務を代行する装置という言い方をすれば認識はロボットにもなりうるかもしれない。
だが、初音ミクの声を利用し、人間の歌唱の様子を真似ながら歌うHRP-4Cという美少女ロボットが現れた。ロボットがボーカルを務め、ついでにギターもドラムもロボットが演奏するような音楽ユニットが歌番組に出演するような未来的な社会はもうすぐそこかもしれない。

前回のレポートに引き続き介護の話題だが、少子化、高齢化によって若年層がより多くの高齢者層を支える負担の問題に大して、大和ハウスが今 ロボット事業に着手している。

ロボットが生活動作をアシストする、あるいはロボットが人の心を癒し和ませる。そういうロボットによって、身体に障がいのある人や身体機能が弱くなった高齢者に希望を与え、いきいきと心豊かに暮らせるきっかけになれば、これ以上の喜びはありません。それが“人間中心”のインターフェイス(共生関係)というものではないでしょうか。

引用:人とロボットの豊かな共存を目指して

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大和ハウスはこのロボット事業ですでにいくつもの製品を実用化している。
装着する人の意思を感知して立ち座りや歩行動作をアシストする自立動作支援ロボット「ロボットスーツHAL」や、
多数のセンサーや人工知能の働きによって人間の呼びかけに反応し、抱きかかえると喜んだりするほか、豊かな感情表現や動物らしい行動をし、人を和ませ、心を癒すとするアザラシのぬいぐるみのようなロボット「パロ」等がそうである。
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私が特に興味を惹かれたのが、加齢に伴う自然な身体変化や、脳卒中などの病気の後遺症、けがや事故など傷害によって生じる日常生活の不自由さを体験できる高齢期疑似体験システムである「シニアポーズ」である。
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体験することによって老いを疑似体験して理解する。それによって高齢社会が求める“やさしさ”を身に着けるとのことだ。私たちが使うのならば、高齢者にとって使いやすい商品、高齢者が本当に求める商品やサービスを、自身の体験からデザインに応用することもできる。
地震を体験できる施設があるように、擬似体験によってその不便さ、恐ろしさを学ぶことができるのはよりいい社会を作ることに大変貢献するものだと思う。

私は、一般的にロボットのイメージであるアトムや「パロ」のようなコミュニケーションのとれるロボットよりも、HALやシニアポーズのようなスーツのようなものにむしろ需要を感じる。ロボスーツってかっこいい!という個人的趣向もないとは言わないが、アトムやパロがナイスな相棒でありすぎたり、人間よりも正確な判断を時間をかけずに割り出せるために「人間はもういらない」というような思考が恐ろしいのかもしれない。初音ミクが歌う動画でよく見かけるコメントでもある。
しかしスーツのような自立アシスト、擬似体験システムは、人間にはし得れないことである。それがロボットによって実現する瞬間こそ、ロボット社会が生まれる意味ではないだろうか。

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