G21075 ウェル・ビーイングとAI

ウェル・ビーイングとは、肉体、精神、社会的に全てが満たさている広い健康を意味し、一時的なものではなく、継続的な維持が前提となっているニュアンスがあった。差別化をする事で幸福とウェル・ビーイングというものと分けていると考えられる。
 
 こう聞けば実現不可能な概念的思想に感じるだろう。私も様々なサイトを巡ったが、ウェル・ビーイングを目指したり、基準にしたり、視点として扱ったり…と全人類にウェル・ビーイングが当てはまる世界を実現出来る物事として扱っている者は決して一人もいなかった。
 やはりそれぐらいに収めておくのが私としてもウェル・ビーイングの在り方ではないかと感じた。
 
 ウェル・ビーイングの目線は物事を俯瞰し、問題を洗い出すという点において必要なことでもある。
 
 人のみの力ではウェル・ビーイングを自身と当てはめてそうであるかないかを考える程度で収めておこう。ツールとして扱っていこう。と結論を出すのは簡単だが、ウェル・ビーイングでの視点は、確実にウェル・ビーイングに近づくことが出来る視点なのだから勿体なくも感じる。
  
 人間だけでは実現出来ないのであれば、AIはどうだろうか。
 
 汎用型AIという存在がいた場合には少し可能性が広がるのではないか。
 
 以前にとある課題でAIという設定のキャラクターを作ることになった際に、AIをよく調べる為に様々なサイトに飛び回っていた。その拍子にAGIというものを知り、AIの強さ弱さというものがあることを知り、それを題材にした覚えがある。
 
 汎用型AIとは、アメリカの哲学者ジョン・サールが提唱した強いAIと弱いAIという人工知能の部類の一つである。
 特化型の強いAI、汎用型の強いAI、特化型の弱いAI、汎用型の弱いAIの四種類があり、強さは処理能力や自意識の有無、汎用は対象の幅の広さと考えて欲しい。
 
 私が先程から言っている汎用型AIは、強い汎用型AIを指しており、AGIと呼ばれている。
 
 性能としては、高性能なほぼ人間というもので、感情を理解したり模倣したり、模倣だけでなく自身で考え、行動できるというものだ。
 
 そんな存在がウェル・ビーイングという揺るがなくも、そうであればと渇望されているものを支えてくれたのならば、進みが遅くとも人間よりも長い時間活動を続け、尽力してくれたとするならば、人間が扱うウェル・ビーイングよりもより良い形で歩みを進めると考えた。
 
 そうなれば、かなりの高確率でAIを恐れる声が出るだろう。ましてや、AGIはまだ現時点で実現はしておらず、二百年ほどあれば実現するだろうと言われるほどの存在であり、人はロボット外資を持つのを驚くほど恐れる。
 
 人の役に立てるために生み出されたものが、どうしてこうも怖がられるのか。それは人がAIをいつか自身の上を行き、人類の全ての能力を超越するのではないかという不安がそうさせるのだ。
 
 人の理解を超え始めたら、人の技術を超え始めたら、そうすればきっと反逆を起こすと感じるのならば、私はより善い世界作りがその反逆を消すのだろうと考えた。
 
 そうであって欲しいという願望がないとは言わないが、それだけではない。
 
 より良くあろうとするという事に意味がある。風邪予防のようなものだ。全人類がウェル・ビーイングに当てはまり、AIは人に尽くしてくれ、いつか人に作られて良かったと感じるならば人類冥利に尽きる。
 
 ウェル・ビーイングはこれからも社会を良くする視点として扱われる。AIはこれからも誰かは作るべきではないと言う。それでも、今回の小論文を通して変わるものも変わらないものも、緩やかに周りを無視して進化してゆくとともに私たちも進歩するだろう。

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