コンピューター京が一度世界一に輝いてから数年、機械が私たちの上に立つのもそう遠くはない未来だと思いました。
機械が意思を持ち、私たちと対等な立場になるということ。
医療や計算の分野では確かにこれからの人間社会にとって必要不可欠な存在になっていくことでしょう。
しかし、機械に依存しきっていると、例えばコンピューター京などの大規模な機会が何らかの原因で故障した場合や
意思を持った機械が人類に反旗を翻すのもない可能性ではないでしょう。
ですので、機械に頼り切った生活ではなく、機械を切り離してもある程度の生活をすることができるアナログな技術をこれからいつの時代になっても
持つことが大切だと考えます。
これからのゲーム機に関しては、ヒトの脳に直接作用する機械が出てくると思います。
ゲーム機に限らず、人に直接作用する機械は恐ろしいとは思いませんか?
機械である以上、どうしてもバグが起こります。
まったく関係のない人がその機械にアクセスすることもできてしまうでしょう
そのことに対して恐怖感を覚えるのは私だけではないと思います。
その時に私たちデザイン分野の人間や技術士の課題は、どれだけ人に恐怖感を与えないような機械をデザインをするか、
どれだけ機械の安全性を向上させることができるか、また、その安全性をどのような手段でアピールするか。
それがこれからデザインの分野で生きていく私たちの課題だと考えます。