デジタルデザイン論最終レポート◆G19048 三島愛悠

私は常日頃「言語の壁」以上に世界に大きく影響を与えている問題は無いと考えている。
言語の壁の問題について論じるためには、いくつか先んじて触れておかなければならない前提がある。

ます第一に問題なのは「言語の違いがもたらすコミュニケーションの壁」であって、「言語の多様性」では無いという事だ。
むしろ言語の多様性はそれぞれの国民が誇りを持ち維持していくべきものであるし、言語がもたらす愛国心や団結性は私たちが想像している以上に大きいものがある。

日本語には「切ない」「わびさび」「もったいない」など日本語にしか表せない表現が多々あるし、ハンガリー語の「SZIMPATIKUS(だれかと初めて出会って、直感的に
その人が良い人だと感じる時)」をはじめその国の言語にしかない個性を排除して世界中で単一の言語を共通言語として使用しようという考えはあまりに短絡的で、人々にとっては受け入れづらい。

結局英語が世界のスタンダードであると長年定義づけられてきたにも関わらず15憶人しか話者がいないという現状は、教育方法などのハード面の問題だけではなく上述のような自身の生まれ育った国の言語を代替えすることに抵抗感を覚える人が多いのも一因だろう。

さて、英語の話者は15憶人と触れたが我々の使う日本語の話者は世界で何人いるのか、またそれがどういう意味を持つのか考えた事はあるだろうか。
日本語の話者は世界に1億3400万人。
これはそのまま私たちが完璧に意思疎通とコミュニケーションを取れる人間の数を示している。
私たちは1億3400万人の日本語の話者同士であれば自分の考えを相手に伝え、聞き、共感することができる。
逆に言えば、その他76憶人のこの星に存在する人々に考えを伝えられない、聞けない、共感ができないという事だ。

言語の壁は私たち人間の相互理解を阻む。
言葉が通じないから分からない、怖い、馬鹿にする、馬鹿にされていると感じる。
こういった感情は国同士の文化の違いや相互不理解に繫がっていく。

そんな中、言語の壁がなくなれば、単純に1億3400万人としか意思疎通が取れない状況から75倍の人間と意思疎通が取れるようになる。
ただ、現状多言語を学ぶ等の方法によって言語の壁を超えることはできても、壁を壊すことはできていない。
例えば私たちは膨大な授業時間を使って英語を学ぶが、それらを全て履修しても身に付くのは完全な意思疎通には程遠い時代遅れの文法や実用性に乏しい語彙であるし、もし英語を完璧に使いこなせるようになったとてまだ16憶人としか意思疎通を取れない。
76憶人総攻略には程遠い。

この現状を打破するのは、やはり技術発展だろう。
皆さんはポケトークをご存じだろうか。
世界50言語に対応する相互翻訳機だ。その性能でドラえもんに出てくる翻訳こんにゃくを思い出す人も多いのではないだろうか?
もちろん、ポケトークとて完璧には程遠くネット環境のない場所では使用できない等の多くの制約が存在する。
それでも「言語の壁を壊す」という途方もなく遠い夢のような話がいかに現実に近づいているかは実感していただけたのではないだろうか。

更にもう一つ紹介しよう。
Deep L翻訳をご存じだろうか。これは更にすごい。
基礎はGoogle翻訳に類似しているが大きく異なるのはこのDeep L翻訳は深層学習、いわゆるディープラーニングで「ユーザーに使われれば使われるほどに翻訳精度が向上する」という点だ。
私たちが必死に英単語を覚えなくても私たちがアニメを見たりお風呂に入っている間にも、このDeep L翻訳は学習し続けてくれる。

私たちが変わらない日々を過ごしている間に技術はすさまじい勢いで発展しているのだ。
1990年代前半には殆どの人が触ったことも開いた事もなかったというインターネットもたった30年でここまで発展を遂げた。
重くて持ち運べなかった携帯電話は片手で操作できる手のひらの中の小さなパソコンと言えるまでの技術向上と小型化を果たした。

私たちが30年後に見る社会では、どの国の人間も自由に意思疎通ができる世界が待っているかもしれない。

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